関西阪急沿線神社仏閣巡りblog

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ご利益がたくさん! 大阪府豊中市で最古と言われる原田神社へ参拝

かつての能勢街道豊中市の岡町を通っており、街道に面した古刹が原田神社です。

私は数十年阪急電鉄宝塚沿線に住んでいますが、岡町駅には降りたことがない!

というわけで、行ってきました原田神社へ。

本殿は国の重要文化財に指定されているということで、楽しみにしていました。

 

 

*原田神社の基本情報

・祭神:素盞嗚命 / 須佐之男命(すさのおのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読命つきよみのみこと)・高龗大神(たかおかみのおおかみ)・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・住吉大神(すみよしのおおかみ)・仁徳天皇(にんとくてんのう)・菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

社格:旧府社
・創建:不詳
・住所:大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18
・電話番号:06-6852-4732
・アクセス:阪急宝塚線岡町駅」から徒歩すぐ
・営業時間:常時開放
・休業日:なし
・駐車場:なし
・公式サイト:なし

 

 

歴史

原田神社の創建は不詳です。

豊中市内の神社では最古と言われており、最も古い記録は、白鳳12年(684年)に天武天皇が神宝・神鏡・獅子頭を奉納されたことや、悪疫が流行ったときにその退散を祈願されたと記されている「天正十四年四月古記録」という文献です。

ただし、これは言い伝えを後年に書き記したもの。

また、国史においてそのような記述がないこともあるため、あくまでも伝承として知られています。

古くは「祇園社」や「牛頭天王(ごずてんのう:須佐之男命の化身)」「桜墓」などの名で歴史に度々登場していることから、いつの頃かに京都東山に鎮座している八坂神社から勧請したのではないか、と考えられているようです。

中世の最盛期には、吹田から猪名川までを含む72村もの産土神だったという、きわめて広範囲を氏子とする有力な神社でした。

1578年、荒木村重の兵火によって消失。

江戸時代に入って1652年、社殿が再建されました。

現在残っている五間社流造の本殿はこの当時のものであり、貴重な建築物として国指定重要文化財になっています。

1685年、京都の神祇官令だった「吉田大納言家」より「原田大明神」の神号が贈られ、現在の原田神社になりました。

 

お祭り情報など

原田神社で行われる、年間の主な行事です。

【1月】

歳旦祭:1月1日

・菜摘祭:1月8日

左義長どんど焼き):1月14日・15日

 

【2月】

・節分祭:2月3日

・稲荷祭:2月二の午(2月の2回目にくる午の日)

 

【3月】

・春祭(稚児祭):3月18日

 

【6月】

・大祓:6月30日

 

【7月】

・夏祭り:7月20日

 

【10月】

・秋祭り(獅子神事祭):10月1日~10日

 

【12月】

・大祓:12月31日

 

 


*原田神社の境内案内

では、お参りの時間です!

まずは、阪急宝塚線岡町駅で下車します。

岡町には駅前になかなか面白い形をした長い商店街があるのですが、その中に、というか沿うようにして原田神社があります。

徒歩で2分ほどですかね。

商店街を歩き、いくつか入口がある中で表まで来ました。

右手、緑が育って石に刻まれた名前が見えません……(;^ω^)

うわー、これはお祭りが楽しいだろうな、と思うような、広々とした境内でした。

左手には鳥居に関しての説明板。

こちらの鳥居は石材の設計や神社までの運賃、設置に必要な材木や人件費などについての資料もともに残っているそうですよ。

貴重な資料……間違いないですね。

そして、原田神社についての説明板です。

毎度思うことですが、このような神社の由来を書いた説明板の字って、癖があるわりに読みやすいですよね。

きれいというのとはちょっと違うんだけど、読みやすい字、です。

手水舎

入ってすぐ右手にある、手水舎です。

一部だけを残して板で覆われていました。

埃避け……? なのかな? たくさんの参拝者がいたら、少し渋滞しそうですよね。

少し歩くと大きな木の根元に百度石を発見。

これを見るとぐるぐる回りたくなります。

百度石。私の祖母が石切神社でよくしていました。

広いですね~

ここで一度、境内案内図をご覧ください。

こちらは社務所でいただいたパンフレットに乗っていた図をお借りしました。

斜めになってますね……すみません

真ん中にある石舞台と大鳥居の真ん中に、石橋とあるのですが、それがよくわかりませんでした。

上の写真の、お百度石の隣、手前にある石の板?のようなもののことでしょうか……。

そして、石舞台です。

右手から見た石舞台。お祭りで使われたらしい榊?が倒れていました

真ん中、恐らく盛り土をして榊を立てていたのだろうと思うのですが、風でしょうかね。

お参りしたのは10月10日だったのですが、前日はこちらの神社の祭事・秋祭宵宮祭/神輿・獅子頭の舞りがあり、10日には本殿祭があるため、その準備もあるようでした。

お祭りで使うのでしょうね、石舞台。

この倒れてしまった真ん中の榊(多分)は、あとで社務所から人がでてきて真っ直ぐに立て直していましたよ。

そして、拝殿と本殿です。

原田神社 拝殿

拝殿より奥に、ちらっと本殿が見えています。

こちらでも秋祭りの準備が進んでいるようでした。

太鼓とか。

仕舞っていたように見えたけど、違うのかも。

説明板

左側から見た本殿

原田神社も、織田信長VS荒木村重の戦があった際に焼き払われています。

ほんと迷惑な人たち……。

社殿は江戸時代(1652年)に再建されました。

全国的にも珍しい「五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で、正面は千鳥破風、軒唐破風、そして檜皮葺きの屋根を持っています。

国指定重要文化財ですね。

本殿の左側にあるのが小宮です。

小宮

小宮では「八幡大神」「春日大神」「天満大神」「熊野大神」が祀られています。

それぞれのご祭神とご利益は以下の通りです。

社務所

こちらでパンフレットがいただけました。

とても親切な対応で、嬉しかったです。

ありがとうございました。

拝殿・本殿を右手にみて、社務所の左隣りにあるのが十二社です。

十二社

もうちょっと近づいて撮影 十二社

摂社である十二社も、原田神社の本殿同様にとても貴重な建築物です。

豊中市有形文化財ですね。

十二社の説明板

こちら十二社ということは、つまり12の神様、12柱ということです。

家で調べたところ、日本神話の天地開闢で最初に生まれた神々(5柱で『別天津神(ことあまつかみ)』と呼ばれる)とその次に現れた神々(7柱で『神世七代(かみよななよ)』と呼ばれる)を祀っているとか。

正直なところなんのこっちゃ、でしたが、ふるーい神々ということですよね。

天津神(あまつかみ)と呼ばれるイザナギノミコトとイザナミノミコトは夫婦神で日本における幾多の神様を生み出したとされますが、この2柱は別天津神より後に現れた神世七代の神様です。

イザナギ夫婦より前の神様!!

そして、その12柱はそれぞれ大地、天、火、水、風、草、木、縁、星、月、日、神のなにかを象徴しています。

ほおほお。

念のため、漢字で神々の名前を記載しておきます。

 

別天津神

天之御中主神高皇産霊神神産巣日神(以上で造化三神と呼ばれています)、宇摩志阿斯訶備比古遅神天之常立神

 

神世七代

国之常立神豊雲野神宇比地邇神須比智邇神角杙神活杙神意富斗能地神大斗乃弁神淤母陀琉神阿夜訶志古泥神伊邪那岐神伊邪那美神

※最初の2柱は1柱で1代、その後は2柱で1代と数えて7代とする

神明社

お次は、拝殿の右手にある神明社です。

ご祭神は天照大神ですね。

主なご利益は国土平安、国家安寧。

日本の天皇天照大御神の子孫とされています。

「国譲り」の神話で天照大神が地上世界も治めることになったとき、息子の天忍穂耳命アメノオシホミミノミコト)に地上へ行くように命じますが、息子は自分にも息子が生まれたのであの子に行かせる、と言い天照大神の孫にあたる邇邇芸命ニニギノミコト)を地上に派遣します。

そのときに天照大神が持たせた三種の神器が、現在の皇室にも伝わる三種の神器ですね。

照大神のが地上を統治するために天上世界から降臨したため、「天孫降臨(てんそんこうりん)」と言うのだそうです。

知らなかったー。

神明社の右側には稲荷社がありました。

稲荷社

こちら残念なことに拝殿が工事中だったので、参拝はできず鳥居を通っただけです。

本殿も普段は横から見えるようですが、見えませんでした。

稲荷社のご祭神は宇賀御魂神。

主なご利益は五穀豊穣、商売繁盛です。

商店街側の入り口です

帰りは商店街側から出ました。

商店街は今も現役でいろんなお店がありましたね。

昭和生まれの私としてはとても懐かしい雰囲気!

そうそう、買い物といえばこういう雰囲気だったなあ!と思いながら歩きました。

10月とは言えまだ暖かかったので、商店街の喫茶店でお茶をして帰りました。

 

私はお城ブログも運営しております!

こちらにも出てきた荒木村重がかかわる池田市池田城については、以下の記事で解説・紹介していますので、よろしければどうぞ。

sekimeitiko-osiro.hateblo.jp